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大会の歴史

第2次大戦前から存在していたプロは、当時、競技よりも興行としての意味合いが強かった。しかし、戦後、ウィンブルドンや全米を制したクレーマー(米国)、年間グランドスラムを達成したレーバー(オーストラリア)ら、トップ選手が続々とプロに転向。4大大会を含め、まだアマチュアにしか舞台を提供していなかった各国の大会は、世界中の一流選手に去られ、大きな痛手を受けていた。

そうした危機的状況の中、1967年に英国ローンテニス協会が「国内ではプロ、アマの区別を撤廃」することを決め、翌1968年に国際ローンテニス連盟(ILTF=現在のITF)は「オープン化するかどうかの決定権を大会主催者に与える」と決定。実質的な「オープン化(プロへの門戸開放)」が決まった。すでに、英国ローンテニス協会は、このILTFの決定前に、ウィンブルドンのオープン化を決めており、ILTFの決定後、各国の大会は、続々とオープン化を果たした。世界最初のオープン大会は、1968年4月、英国ボーンマスで開催された「英国ハードコート選手権」。記念すべきオープン化初の優勝者はローズウォール(オーストラリア)だった。

オープン化と同時に、大会は賞金付きとなり、男子では1970年に現行ツアー制度の基礎となるグランプリ・シリーズが創設された。この急激な波に、日本も傍観者ではいられなかった。しかし、日本テニス協会は日本体育協会の傘下にあり、そのアマ規定が日本のオープン化を遅らせた。ようやくアクションを起こせたのが、世界のオープン化に遅れること4年の1972年。日本をリーダーとして、香港、フィリピンの3カ国が共同で、初の試みとしてアジアパシフィックサーキットを開催した。その一環として、それまであった朝日招待大会を発展解消させ、第1回ジャパンオープン国際テニス選手権を、田園コロシアムで開催した。賞金総額1万5000。しかし、この大会は、準備大会として選手は招待という形式で行われたため、グランプリ・シリーズの公式戦ではなかった。優勝は、男子が坂井利郎、女子は沢松(現姓吉田)和子という、当時の日本のトップ選手が占めた。1973年の第2回大会から、賞金総額を6万に増額し、男子はグランプリ・シリーズの一環として、ツアー公式戦の幕を開けた。ただ、このジャパンオープンの前週に大阪オープンが開催され、厳密に言えば、日本最初のオープン大会公式戦は、この大阪オープンということになる。

ジャパンオープンの女子がツアー公式戦となるのは1979年。ここに、男女同時開催のナショナルオープンという、世界に誇れる現在の形ができあがった。1983年からは、会場を田園クラブから、新たに建設された有明テニスの森公園に移し、それとともにコートもクレーからハードに変わった。

しかし、賞金規模から言えば、男子のジャパンオープンは、世界ツアーの中でも中規模の大会だった。賞金総額20万で、1978年から始まった室内大会セイコースーパーテニスの後じんを拝していたことは否めない。そのジャパンオープンが、賞金を一気に増額したのが「サントリー」を冠スポンサーに迎えた1987年だった。1万人収容のセンターコート、有明コロシアムが完成したのを機に、大会規模を拡大。賞金総額も、前年の19万5000から65万に増額し、開催時期も10月から4月に移行した。

ただ、この格上げが、綱渡りで行われたことは、あまり知られていない。当時も世界のツアー日程は、2年前にほぼ確定されており、1985年にできあがった1987年の日程で、ジャパンオープンは賞金総額10万で10月開催となっていた。これでは、1987年4月完成予定の有明コロシアムのオープニング大会がないという状況である。日本テニス協会は奔走し、ツアーの中でWCT(ワールドチャンピオンシップテニス。米国の興行会社)が運営するアトランタ大会が赤字で困っていたことを聞きつけ、その大会を東京で開催することを提案。WCTに利益保証し、WCTがジャパンオープンに相乗りできる形を取り、ようやく賞金を増額して4月開催にこぎ着けた。3年後の1990年からはWCTから独立し、現在の協会単独での開催となっている。

そのジャパンオープンも、景気低迷とともに、冠スポンサー獲得に苦戦し、数年は開催が危ぶまれることもあった。また、4月という時期は、世界ツアーの流れが、ちょうど全仏を頂点としたクレーに移行する時期でもあり、ハードコートのジャパンオープンは、難しい立場に立たされていた。2000年に、ツアーを統括するATP(男子プロテニス協会)のアドバイスもあり、再び10月開催に戻した。それに伴い、同時開催していたジャパンオープンのジュニア大会を独立させ、会場は、愛知・東山公園テニスセンターに移した。2001年からは世界有数の保険グループ「AIG」が冠スポンサーとなり、2006年は世界1位のフェデラー(スイス)が初めて出場し、7日間通算で史上最多(当時)の7万2385人の観客が押し寄せた。2009年からはインターネット総合サービスの最大手「楽天」が冠スポンサーとなる。また、男女のツアー改革に伴い、女子はツアーから外れ、ツアー下部の国際テニス連盟(ITF)サーキット大会となり、2011年以降は開催していない。

ツアー公式戦となって約40年。男子の最多優勝は、日本を第二の母国とし、絶大なる人気を誇ったエドベリ(スウェーデン)の4度である。日本男子は、2012年に錦織圭が念願の優勝を遂げた。それ以外では、1978年九鬼潤、1979年神和住純、1988年松岡修造、2001、06年鈴木貴男がベスト8となっている。男子の最年少優勝は、1982年のアリアス(米国)で18歳2カ月。最年長優勝は、公式戦となった記念すべき1973年に優勝したローズウォールの38歳11カ月である。

女子は、日本選手の活躍が光る。井上(現姓兼城)悦子(元フェド杯代表監督)が、ツアー初優勝を1983年大会で飾った。1979年に公式戦になってから、岡本久美子、伊達公子、杉山愛と井上を含む4人が8度の優勝を遂げている。その中で、伊達の4度の優勝は、女子最多だ。伊達は1992年から5年連続で決勝に進み4度の優勝。敗れたのが1995年の1回だけと、地元のエースとして貫録を示した。また、伊達を受け継いだのが杉山で、1997年から3年連続の決勝進出で2度の優勝と、日本女子は1992年から8年連続で決勝進出を果たした。2002年は、男女ともにノーシード選手同士の決勝という大会史上初の記録も残している。

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